まさか就職が決まる?そして3か月が過ぎて……
ホーチミンへ移住してから丸2か月が経ち、3か月目に突入した。
在住外国人は、移住して3か月から半年以内に一度は日本に対するホームシックがあるといわれているようだ。
しかし、いまのところ僕にその気配は感じられない。
確かに時折日本の洗練された清潔かつ合理的な社会が恋しくなるときがあるし、定期的に通っていた地元のラーメン屋の赤みその味を思い出すときがあるが、日本に無性に帰りたくなることはまだない。
おそらく、その理由として、僕は日本にいるときから大学の研究でベトナムへ訪れ、少なからずベトナムの本質(主に悪いところ)を知っていたからじゃないかと思う。
実際住んでみてもギャップはあまりなく、俗に言われている「パリ症候群」に陥る夢見少女とはわけが違うような気がした。
多少のトラブルはあれど、なんとか3か月を行き抜き、いまではこのホーチミンの町にもすっかりと馴染んだような気が僕なりにした。
そして、そのまま僕の3か月が終わろうとしたときだった。
美容院で思いがけない紹介
人文大学の帰り、僕は日本人町にある日本人が散髪をしてくれる美容院に行った。
イケメン美容師にベトナムのあるあるや、おすすめのレストランや食堂などを教えてもらっていたとき、その美容師がふと思い出したかのように僕に質問した。
「君ってまだ仕事していないの?」
「ええ。いまは人文大学でベトナム語勉強しています」
「そうなんだ、仕事する気ある? 俺の知り合いに、ちょうど人探ししている人がいるんだよね」
「どんな仕事ですか?」
「営業と電話対応みたいだよ。勤務先は○○病院」
その病院は在住日本人なら誰もが知っている、日本人医師が常勤している人気の病院だった。僕はしばらく考えていた。
実は2か月が1クールだったベトナム語講座が終了し、次の講座へのお金を支払ったばっかりだったからだ。
しかし、「話だけでも聞いてみたら? 日本みたいながちがちの面接をやるわけじゃないしさ」
と美容師さんの言葉に釣られて、「それだったら、是非」と僕は連絡先を渡した。
はじめての面接
面接に指定された場所は、レタントン近くの小さなカフェだった。
てっきり事務所かと思ったが、「ベトナムだから。ラフにいこうよ」と担当者が明るい声で、このオープンエアのカフェを指定してきた。
待ち合わせ場所にやってきたのは、僕と同じくらいの年(20代半ば)のショートカットの女性だった。
栗色の髪にぱっちりとした目、ふっくらとした唇はとても好感が持てたし、もっと若く見えた。
僕たちはまずコーヒーを頼んで、お互い身の上を話した。
僕がホーチミンへ来た理由、なぜベトナムを選んだのか、最近の生活はどうか、ベトナムの食事にはなれてきたか、友達はできたか、といった何気ない話に花咲かせた。
30分ほど話してからようやく本題に入ったが、どうやら彼女は近々日本へ帰国するため、その後釜を探しているとのことだった。
仕事は営業で、企業に勤める社員向けの健康診断の勧誘だった。
基本給は1600ドルで、インセンティブあり。
僕のような現地採用者にとっては妥当の給料だ。
週休1.5日。
これは土曜日は午後と日曜が休日となる。
なかなか頷けないのには、いくつか理由があった。
第一に、上述した通り、僕はベトナム語の講座の代金を支払ったばかりなので、それを不意にするのが嫌だった。
第二に、僕はまだ就職する心の準備をしていなかった。
人文大学で学生たちと一緒に自習室で屈託ない会話をする時間は、今の僕の生活サイクルの中心にあった。
それを失う準備と覚悟がまだなかったのだ。
第三は、もう少しどんな仕事があるのか探してみたいという気持ちもあった。
曲がりなりにも日本では営業畑でキャリアを築いてきたので、もっと給料を含めた待遇のいい会社が見つかるのでは、と半ば考えていた。
そこで、僕は熟考した結果、申し訳ないが断ることにした。
彼女は、「全然かまいません!ホーチミン楽しんでください!」と言ってくれた。
しかし、別れ際に彼女は、「実は私、ホーチミンの暮らしが合わなくて、ちょっと鬱っぽくなっちゃったんですよ。だから帰国を……」と僕に小声で教えてくれた。
その日の夜、僕はベッドで彼女のことを考えた。
「気づかないうちにストレスは溜まっていくもので、そういった患者さんも月に1人か2人はくるんですよね」
と彼女は言っていた。
僕にもそんな日が来るのだろうか。
いまの僕にはまだ想像できない。
しかし、じきに想像できる日が来るのだろうか。
考えれば考えるほど、自分が日本から離れた遠い外国へいるのだと思い知らされた。
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